知っててもーThough It Is Acknowledged

五月が終わります。いかがお過ごしでしたか。

本日も、ソフトな話題、あははー。 えっと、あのかの有名なモナ・リザを描いたレオナルドダヴィンチのお母さんは誰か、という記事からです。

 

ダーリンの弟がロンドンから来ているのですが、The Timesの新聞を持ってきてくれました。長いフライトなので、初めて新聞の端から端まですべての記事を読んだといってましたが、新聞ってほんとうに読まなくなったよなあ・・・とつくづく。実際読もうと思うと、英字新聞などおっくうでおっくうで、と思ったものの、短くて写真付き、そしてソフトな内容はまあまあ読む気を誘ってくれました。

簡単に。ダビンチのお母さんの名前はCaterina.とても貧乏で、幼いときに父親がいなくなって、祖母に育てられたそう。その祖母がなくなった後は叔父と叔母の所で育てられたそうです。1451年、フィレンツェで働くSer Piero da Vinchという若い弁護士がその年の夏、休暇を取りました。Caterinaが妊娠するにはいい条件だったことと、美しくてその気になるにはちょうどいい時だったということで、一発で大当たり(失礼)。Caterinaはレオナードを身ごもります。

 

Caterinaにしてみれば、法的に証明できない子供(結婚してできた子供ではない)を持つことや、ひっそりと住む家もない状況というのは、そりゃあそりゃあ今までの状況に輪をかけて悪い状況。アレンジの結婚が決まっていたCaterinaでしたが、義務感から結婚をしようとSer Piero da Vinchから。Ser Piero da Vinchの両親はCaterianに良心的な持参金をあげたそう。

 

しかしです。Ser Piero da Vinchにしてみても、弁護士としてやっていこうという若手の野望多きとき。子供を持つことは何のプラスにもならない。というわけで、彼の両親がレオナードを育てたということ。

 

どうしてこんなことが分かったかというと、Ser Piero da Vinch家の1457年の税金の申告書が手掛かりとなったようで、そこには法律では認められていないSer Piero da VinchとCaterinaの子供としてレオナードが申告されていたんでっすって。

 

40年以上たって、Caterianはレオナードの住むミラノへおとずれ、我が息子と一緒に死ぬまで過ごせたと。

・・・・・。芸術史研究家の研究は素晴らしいと思いますが、これはDNAを知りたくてなされた研究なのか、それとも誰が天才の親かを調べるのは当たり前なのか。長い間ミステリーだった課題なんですって。

 

お役に立たない情報・・・でしたよね。

 

アートな月末でありますように。

Shizuko